コントロールすべきは、他者ではなく自分自身ではないか。
何かを得ようと必死になるのではなく、
何かを得なくてはいけない、という渇望と向き合うことが、
コントロールを取り戻すということではなかろうか?
そして、それは、我慢をする、ということではなくて
「足りない」という幻想を創り出している単なる1つの信念を見つける、
という方法で達成されることもあるのだ。
私は、足りない。から、私は持っている。へ。
それは他者をコントロールするのではなく、
自分の意識を探究することで到達することのできる道だ。
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